ヨンソクのブログ
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スヴァールバルへ行く - オスロの初日

以下のオーディオは「NotebookLM」で生成したものである。

オスロの初日
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3月26日

そもそもすべての存在は、空っぽの宇宙を漂っている。


アムステルダムへ向かう機内にて
飛行機はゴビ砂漠の上空を飛んでいる。 スヴァールバルに辿り着くには三度の飛行機を乗り継がなければならなかった。オスロへの直行便がなかったため、仁川からアムステルダム、アムステルダムからオスロ、オスロからロングイェールビーン。計三度の搭乗が必要だった。 気楽に眠れるかと思ったが、砂漠の空はそうさせてくれなかった。一向に収まらず、機体を絶え間なく揺さぶり続けた。統計的には大事には至らないはずだが、激しく揺れるたびに、「ああ、本当にここで死ぬかもしれないな」と無力感を覚えた。 できることはベルトを締めることだけ。機内で私は何かにすがれるものを探していた。なんと脆い存在だろうか。莫大な運動量を抱えた飛行機の中で、私はどこまでも小さかった。 人間の身体ひとつでは存在し得なかった砂漠の上空34,000フィート。私はここに存在しながら、不在である。
窓を大きく開けても、境界も線も点も見えない。真っ暗な光だけが不在の存在を露わにしている。基準系すら失われたこの場所では、乱気流だけが私の存在を刻みつけてくれる。
ならば三半規管だけが私の存在を証明するのか?三半規管がなければ、私はこの飛行機の中に存在するのか?

ゴビを越えると韓国はもう日が昇っていたが、飛行機はまだ果てしない夜を横切っている。誰かの深夜。数え切れない人々の深夜を通り過ぎる。窓の外では、星の光と誰かの街の灯りが渾然と混じり合っている。

スキポール空港と鉛のポーチ

乗り継ぎ時間が短く、後方の席だったため走るしかなかった。ありったけ詰め込んできたSuper8フィルム(カラーネガティブ50D、200T、500Tを各一本、白黒とエクタクロームを各一本。計6本も持ってきた)は鉛のポーチに入れてあった。保安検査のX線を通す際に守るためだ。 空港での手検査の要請は面倒だと聞いていたので、事前に用意しておいたのだ。仁川空港で鉛のポーチに入れたままCTスキャナーを通したのは安全だったのか、ChatGPTに聞いてみた。
しまった。
線量によっては完全には遮蔽できないらしい。既にCTスキャナーのビームはフィルムを貫通していたはずだ。スヴァールバルの光を捉える前に、X線を先に焼き付けてしまった。起きてしまったことは取り返しがつかない。後悔の傷跡が多重露光として一緒に現れるのだろう。 次からは素直に勇気を出して手検査を頼むことにした。その後さらに四度飛行機に乗ったが、空港で頼むと皆親切に手検査をしてくれた。むしろ再検査が必要だったのは空になった鉛のポーチだけだった。 乗り継ぎまで一時間しかなく、ゲートに向かって走った。どんよりとした空の下、薄暗い早朝の空港が余計に焦りを掻き立てた。どうにか辿り着き、最後に搭乗した。
どんよりとしたアムステルダムの雲を抜けると、再び澄んだ空が見えた。私たちは天気によって気分が晴れたり沈んだりする。しかし雲の上に出てしまえば、どこもかしこも晴れている。
オスロへ向かう。

白いレシート

オスロには朝に到着した。中央駅までは思ったより近かった。早朝に着いたので、ホテルに荷物を預けてオスロの市街を歩き回った。 まるで通行人Aにでもなったように、ホテルを出てごく自然に家に電話をかけた。平日の朝だったが、オスロの街は静かだった。

「私、ソグネフィヨルドを見たかったのよ」
電話の向こうで母が安否を尋ねた。母は地理学を専攻していた。幼い頃、地理のフィールドワークに出かけた話や、浸食と堆積作用、そして漢灘江の柱状節理の形成過程をよく説明してくれたものだ。 ずっと自分の目で見たいと思っていた地理現象がいくつかあり、そのうちのひとつがフィヨルドだった。
「お父さんが、警察署の場所をちゃんと調べておけって」
父はひとりで遠くへ行く私を心配していた。短い安否の電話を終え、また通行人Aに戻った。

赤いランプが一度に二つ点く信号機。当然のように信号機に取り付けられた正体不明のボックスを押す人々。 少し異なるルール。まるでパラレルワールドに迷い込んだようだった。自分だけが場違いで、周りの人々はみな自然体。完璧な通行人Aになるには、空気を読んで振る舞うしかなかった。信号機の横に付いたボックスを上から横から叩いてみたが、反応はなかった。 残ったのは底面だったが、見えない底面に手を伸ばすのは怖かった。「底に何かあるかもしれないのに…」ボタンがどんな形かもわからないまま底を押した。なぜボタンを下に付けたのだろう。
一種のテストのように感じた。

The History of Prisma Daps | PrismaTibro

Some of our earliest push buttons for pedestrians were called TS-9XX. Today, they are called Prisma Daps, Digital Acoustic Pedestrian Signal.

https://www.prismatibro.se/en/the-history-of-prisma-daps/#
The History of Prisma Daps | PrismaTibro

調べてみると上記のような製品だった。側面もボタンらしい。他の側面の模様は横断歩道の構成を示すための点字だった。

オスロ市内を歩き回り、昼時になってマクドナルドを見つけた。まだオスロに慣れておらず、せめて馴染みのある場所に来たのだ。オスロに来て初めての注文。緊張しながらバーガーセットとさつまいもフライを頼んだ。

キオスクで注文して番号は覚えたものの、レシートのインクが切れていたのか、何も印字されていない真っ白な紙が出てきた。最初の食事から早速の試練か。
受け取る時に自分のだと伝えなければならないのに、レシートすら差し出せなくなった。Duolingoで覚えたノルウェー語の数の数え方を思い出しながら、注文番号を待った。 58番だったか… 白紙のレシートだけを手に、femtiåtteが聞こえるのをひたすら待った。幸いうまく聞き取れて、自然に受け取ることができた。私はようやく、通行人Aになれたのだ。 横断歩道を渡ることができた。マクドナルドで食事を受け取ることができた。他に何が要るだろう。